千葉開府900年
千葉城:千葉市と千葉氏、そして平将門


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平将門~千葉氏の歴史・家系図

  • 935年~940年頃:平将門の乱。
  • 1126年:千葉常重が現在の千葉市中央区に館を構える。
  • 1180年~:千葉常胤が源頼朝を支え、鎌倉幕府創設に貢献。
  • 室町時代以降:一族が次第に分裂し、その後、戦に発展。
  • 文明年間(1469~1486):本佐倉城を築城。
    後に千葉氏は本拠地を本佐倉城に移す。
  • 1590年:豊臣秀吉の小田原攻めによって、千葉氏滅亡。


    平将門と千葉氏のつながり:

    桓武天皇 … 平高望(高望王)
           ︙
           +―
    平良将平将門
           ︙
           +― 平良文 … 千葉常重 ー 千葉常胤



千葉市と千葉氏

千葉市の歴史は、1126年に千葉常重が現在の千葉市中央区に館を構えたことに始まるとされていますが、千葉氏は桓武天皇の血を引く関東の名族であり、3代目当主の千葉常胤(ちば つねたね)は、源頼朝を支え、鎌倉幕府の成立に貢献した人物として知られています。

・「千葉氏ポータルサイト」(千葉市)
  千葉氏PR動画
  マンガ動画「千葉常胤公ものがたり」
  千葉氏の歴史
  千葉氏入門Q&A
・「千葉氏と千葉市」ウィークリー千葉県(千葉県)
・「県都・千葉市と千葉氏の館」(千葉県教育委員会)
・「千葉氏について」(千葉市)

千葉開府900年

千葉氏と平将門

けれども、千葉氏を単なる「源頼朝を支えた人々」とみなすことは、千葉氏の本意でないかもしれません。
『源平闘諍録(げんぺいとうじょうろく)』には、千葉氏の先祖である平良文(たいらのよしぶみ)が、甥である将門の養子になったと記録されていますが、千葉常胤の孫である千葉成胤(ちば なりたね)が『平親王将門ニハ十代ノ末葉』と名乗りを上げたと記されており、千葉氏は、自らのルーツを「平将門」に求め、その強さを誇示していたと考えられます。
千葉氏にとって「将門」は、自らの「アイデンティティ」の核となる存在であったのではないでしょうか。

・「まめ知識1-ちば・ふるさとの学び 」(千葉県教育委員会)
・「将門と忠常-千葉氏のルーツを探る」(PDF:千葉市立郷土博物館)
・「かしわ・その時」(柏市)

千葉氏、平将門と妙見信仰

このように千葉氏は平将門を深く崇敬していましたが、その思いは平良文と平将門の守護神である「妙見様」への信仰という形で、現在も史跡や伝承の中に息づいています。

・将門と妙見説話(守谷市)ADEACのサイトに移動します)
・千葉氏の妙見信仰(千葉市)ADEACのサイトに移動します)
・妙見信仰について(千葉氏ポータルサイト:千葉市)
・千葉氏と北辰(妙見)信仰(千葉市)

・「水」を司る妙見様と安産守護の御力(千葉神社)

千葉市の市章と千葉氏の「月星紋」

そして、このような史跡や伝承に残る面影は、単なる「過去の物語」ではなく、「今もなお、この地に息づく未来へ向けたストーリー」であると考えられます。

たとえば、千葉市の市章(シンボルマーク)は、千葉氏の家紋「月星紋」と「千」の文字をモチーフとしています。この「月星紋」は、単なる妙見菩薩の神紋ではなく、千葉氏が崇敬した平将門の守護神「妙見様」の象徴です(※)。
このシンボルには、平将門や千葉氏の記憶が刻まれており、それは現在を生きる私たちにとっての夢でもあるのです。

※ 「千葉の妙見は、それまでの農耕神や鎮守神としての穏やかな菩薩の姿とは異なり、北の守り神である玄武に乗り、甲冑をまとい、剣を持つ勇壮な姿で現れます。」(千葉市WEBサイトより)

・千葉氏PR動画
・「神紋・社紋 | 厄除開運・八方除の妙見様の御本宮」(千葉神社)
・「千葉のまちの成り立ち、 知っていますか」(PDF:千葉市)


空想ノート  妄想ヒストリア 1

千葉氏の妙見信仰は、実は将門信仰だった?

●千葉氏は本当に平将門の子孫なのか?

千葉氏は、自らのルーツが将門にあると主張していました(※1)。
実際、「千葉氏の先祖である平良文が、平将門の養子になった」といった伝承もあり(※1)、さらには「実は将門こそが千葉氏の直系の祖先である」という説も伝えられています(※2)。

たしかに千葉氏の祖先である平良文が平将門と親戚関係にあったことは事実です。しかし、「千葉氏のルーツが将門である」ことを示す決定的な証拠はないように思われます。

桓武天皇 … 平高望(高望王)
       ︙
       +―
平良将平将門
       ︙
       +― 平良文 … 千葉常重 ー 千葉常胤


● 千葉氏は平将門を崇める宗教団体だった?

千葉氏が「自らのルーツが将門である」と主張したのは、彼らが平良文・将門の妙見信仰を受けついだからではないでしょうか(※3)。妙見信仰に込められた将門のスピリットを受け継いだと信じた千葉氏は、単なる武士団というよりも、将門を崇める宗教的な集団としての側面を持っていた可能性があります。

実際、千葉氏が祀っていた「妙見様」は、「玄武に乗り、甲冑をまとい、剣を持つ勇壮な姿」で描かれており、穏やかな本来の「菩薩」とは、かけ離れた真逆の姿でした。この姿は、まさに将門のイメージと重なります(※4)。

●隠れキリシタンは「妙見菩薩」を祀っていた

このように千葉氏の「妙見信仰」は実質的に「将門信仰」といえるものでした。それではどうして千葉氏は、「将門信仰」ではなく「妙見信仰」と称したのでしょうか。
これには千葉氏の巧みな政治的判断があったと考えられます。

将門は、関東武士にとって畏敬の対象でしたが、朝廷からは「朝敵」と見なされていました。英雄であり、(あくまで朝廷から見た場合の話ではありますが)罪人でもあったわけです。そのため、公に「将門を信仰している」と言いにくい場面もあったのではないでしょうか。

たとえば、隠れキリシタンが「妙見菩薩」を天帝(ゼウス)として祀っていたように、千葉氏も朝敵「将門」を、「妙見様」という形で祀っていた可能性はないでしょうか。(※5)

千葉氏は、表向き、「妙見信仰」という形をとることで、朝廷への配慮を示しつつ、周囲の武士に対しては、「千葉氏は最強明神・最恐怨霊の将門の一族である」と誇示していたのではないでしょうか。

●源頼朝は千葉神社に「馬二〇匹と広光の太刀を寄進」

千葉氏が武士の世において畏怖され、同時に尊敬される存在となっていった背景には、こうした彼らの妙見信仰、すなわち将門の威光が影響していた可能性があります。
その後、千葉常胤の尽力もあって、源頼朝が鎌倉幕府を開くに至りましたが、鎌倉時代に入っても、千葉氏の妙見信仰(=将門信仰)はなお強い影響力を持ち続けていたのかもしれません。(※6)


※1 『源平闘諍録』には千葉氏の先祖の平良文が将門の「養子になった」という記述がありますが、この記述は、後世の千葉氏が、将門との関係を強調するために書いた可能性もあり、完全には信用できないと考えられます。
※2 当時は、親戚同士の婚姻が一般的であり、将門自身が千葉氏の祖先にあたる人物、またはその親族と婚姻関係を結んでいた可能性も否定できません。 しかし、それを裏付ける明確な史料は乏しく、その真偽は定かではありません。
※3 染谷川で「平将門」が襲撃された際に、将門の叔父であり千葉氏の祖先でもある「平良文」が将門に助勢したと伝えられています。そのとき、妙見菩薩が良文の命を救ったとされますが(『紙本著色妙見大縁起絵巻』)、この「妙見様」への信仰を受け継いだのが、良文の子孫である千葉氏とされています。なお、『紙本著色妙見大縁起絵巻』に描かれた染谷川での戦いは、将門が朝敵となる前の出来事であり、将門が朝敵となった後に平良文が助勢した記述は見られません。これは、千葉氏が朝廷への配慮を示したものと考えられます。
※4 「千葉の妙見は、それまでの農耕神や鎮守神としての穏やかな菩薩の姿とは異なり、北の守り神である玄武に乗り、甲冑をまとい、剣を持つ勇壮な姿で現れます。この特徴的な妙見菩薩の図像は絵巻や仏像・仏画などの形で広がり、現在でも千葉氏の所領であった地域の寺社に残されています」(「千葉氏と北辰(妙見)信仰」千葉市
※5 千千葉氏と隠れキリシタンの状況はまったく異なりますが、「本来の信仰対象を別の形に置き換えることで非難を回避する」という点では、千葉氏も同様の戦略をとった可能性があります。
※6 源頼朝も、千葉氏の妙見信仰に対して一定の敬意を示していました。実際、頼朝は千葉神社に「馬二〇匹と広光の太刀」を寄進しています。
(「千葉市史」千葉市)(← クリックするとADEACのサイトに移動します)

・「将門と忠常-千葉氏のルーツを探る」(PDF:千葉市立郷土博物館)
・「染谷川合戦(将門記)古戦場と下の小橋」(野田市)

【注意】 このコラムは、あくまで筆者の推測に基づく一考察であり、必ずしも歴史的な根拠に裏付けられたものではありません。



千葉市立郷土博物館 
所在地 :千葉市中央区亥鼻1丁目6番1号
 
アクセス:JR本千葉駅から 徒歩15分
特徴  :千葉氏や平将門に関する資料が展示されています。
千葉城


千葉神社 
所在地 :千葉市中央区院内1-16-1 
アクセス:
千葉駅徒歩10分
特徴  :「妙見さま」として親しまれ、
境内には、亀の形をした神聖な岩「亀石」があります。

七天王塚 1号塚 
所在地 :
千葉市中央区亥鼻3丁目6-2 
アクセス千葉大学医学部・薬学部入口を目指してください。
特徴  猪鼻城(通称:千葉城)周辺に位置。
牛頭天王を祀ったとされます。
塚が7つ存在することから、妙見信仰(北斗七星)と関係か?
平将門の七人の影武者が祀られているという言い伝えもあります。
七天王塚


→ 千葉氏ゆかりの史跡・文化財(千葉氏ポータルサイト:千葉市)

➡ 次へ:本佐倉城:千葉県佐倉市 酒々井町と千葉氏


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