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首塚:東京(千代田区周辺)の平将門伝説


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千代田区の平将門伝説

ところで、平将門の「首」は、地元・坂東市に祀られた「胴体」とは異なり、遠く離れた東京 大手町で祀られることになったと伝えられます。
前述のように、将門は関東武士などにとって、特別な存在でしたが、当然、その首を祀る「首塚」も、彼らにとって特別な場所であったと考えられます。

そのような状況を反映し、江戸・東京の街は、この聖地「首塚」を中心に形作られていった可能性があります。
実際、平将門を深く崇敬していた徳川は、江戸の町づくりにあたって、将門の存在を強く意識していました。たとえば江戸城の大手門は「首塚」の目の前に設けられました。そして、将門を祀る「江戸の総鎮守」神田明神を、江戸城の鬼門方向に移転し、江戸を守ろうとしました(神田明神WEBサイト)。

現在、「首塚」のある千代田区には、国会議事堂、霞が関、最高裁判所など、国の中枢機関が集中し、「首塚」の周囲には大企業の本社や東京駅などがありますが、私たちが目にする現在の東京中心の日本の姿は、古代日本を創り上げた大国主や、関東を守った平将門のご加護のもとに形づくられてきたのかもしれません。
平将門の記憶は、現在の日本にあっても、高層ビルが立ち並ぶ大都会の中で、今なお息づいています。


空想ノート  妄想ヒストリア 3

首が京都から飛んできた?
将門の首塚伝説の謎に迫る


●将門塚にまつわる不思議な伝説?

平将門は朝廷に反旗を翻したという理由で討たれ、その首は京都に送られ、晒されました。しかし、その首は故郷に向けて飛び去り、途中で力尽きて、東京都の大手町に落ちたと伝えられています。その地に祀られたのが「将門塚」です。

「将門塚」には数多くの逸話が残されています。
「大蔵省再建のため塚を壊したら関係者が次々と死亡した。大蔵省が火事になった」
「GHQが塚を壊そうとすると、ブルドーザが横転し作業員が亡くなった」
これらが事実であれば、将門のパワーは計り知れません。

しかし、将門の首が京都から大手町に到達するには、計算上、音速を超える初速が必要となります。仮に首自体が推進力を備えていたとしても、落下せずに飛行するには、数百キロメートル以上の速度を維持しなければなりません。たしかに、ロケットのようなものを下方向に噴射すれば、速度が遅くても落下せずに飛行できますが、現代の先端技術を使用しても数トン程度の燃料が必要になる可能性があります。

将門の首が京都から大手町に到達するために必要な初速度を、以下の条件で計算します。
・飛行距離:約500 km
・発射角度:45度(最も遠くに飛ぶ角度)
・重力加速度:9.8 m/s²
・空気抵抗:無視

計算

この速度は音速(約343 m/s)を大幅に超え、レールガンの発射速度や短距離弾道ミサイルの速度に匹敵します。

いくら朝廷を震え上がらせるほどの霊力を持つ将門であっても、首が数百キロもの距離を飛行したというのは、少々現実離れしているのではないでしょうか。

●首が飛んだのではなく、消えたのだとしたら?

このように、将門の首が京都から大手町まで飛んでいったという話は、なかなか信じがたいところがありますが、私は、この伝説について、別の可能性を考えています。例えば、首が飛んだのではなく「消えた」のだとしたらどうでしょう。

将門の首は長期間晒されており、徐々に警備が手薄になっていった可能性があります。誰かに持ち去られた可能性はないでしょうか。
もしも首が盗まれたことが露見すれば、見張り役やその上司は厳しい処罰を受けることになったはずです。その責任を逃れるために、「首が空へ飛んでいった」と言い訳をしたとは考えられないでしょうか。

●誰かが「将門の首」を故郷に帰そうとした?

将門は朝敵とされましたが、彼を英雄視し慕う者はたくさんいました。朝廷に近い人々の中にも、彼に同情する人がいたのではないでしょうか。「せめて故郷に帰してあげたい」と考える人が現れたとしても不思議ではないと思います。

たとえば首を故郷に帰そうと運んでいたところ、大手町の周辺で何らかのトラブルが発生し、後で取りに来ようと一時的に首を「将門塚」に隠したといった可能性はないでしょうか。

しかし、ここで一つ疑問が生じます。将門の首の供養などにあたった人々は、どうして「ここに首がありますよ」とわざわざ示すような行動をとったのでしょうか?
理由はいろいろ考えられますが、あえて首のありかを明らかにしたのには、「別の意図」があった可能性もあると思います。

●江戸・東京を守る「北斗七星結界」の噂

ところで話は変わりますが、江戸時代、将門を崇敬していた徳川は、将門塚を含む将門ゆかりの神社や塚を「北斗七星の形に配置した」といった説があります。実際、上空から見ると、以下の6つの将門ゆかりの神社や塚が、北斗七星の形に並んでいるように見えます。

1.鳥越神社:東京都台東区鳥越
2.兜神社:東京都中央区日本橋兜町
3.将門塚:東京都千代田区大手町
4.神田明神:東京都千代田区外神田
5.筑土神社:東京都千代田区九段北
6.不明
7.鎧神社:東京都新宿区北新宿

●6つ目の神社や塚だけが見当たらない?

しかしここで、「ある謎」が浮かび上がります。通常、北斗七星は7つの星から構成されますが、将門ゆかりの神社や塚は6つしか確認できません。北斗七星の順に当てはめると、6つ目の場所(ひしゃくの持ち手の部分)が欠けてしまいます。

●諸説ある6つ目の神社

・新宿の稲荷鬼王神社説:
神社の名が平将門の幼名「鬼王丸」に由来するという説がありますが、神社側に聞いててみたところ、この説は間違いだそうです。 そもそも、この神社は、他の将門ゆかりの神社や塚と比較すると、祭神などが異質であり、性格が少し違うように思われます。 (情報提供:鬼王神社)

・早稲田の某神社説:
ここは将門の敵を祀る神社であるため、個人的にはこの神社が6つ目であることはないと考えています。ダミーである可能性もあるのではないでしょうか。

もしも将門ゆかりの神社や塚が北斗七星の形に配置されていることが偶然でないとすれば、6つ目の場所が見つからないことも偶然で片づけるべきでないと思います。意図的に隠蔽されている可能性はないでしょうか。

●将門塚に祀られているのは御霊か 首か

たしかに将門塚は、1000年以上にわたり、「強力な霊力を持つ聖地」として尊敬と畏怖の対象でした。将門の御霊が手厚く祀られ、現在でもお参りに訪れる人が絶えることはありません。私自身も、都内に勤めていた時は、毎日欠かさずお参りしていました。将門公の御霊は、この地にあると信じています。

しかし、将門の御霊がこの地にあるからといって、彼の首がこの地にあるとは限らないと思います。朝廷からの追跡をかわすために、たびたび場所を変えていたとしても不思議ではありません。
もしかしたら「6つ目の神社・塚」の謎を解くことが、将門の首塚伝説の謎を解くカギとなるかもしれません。

●1つ目の神社は本当に鳥越神社か

ちなみに、個人的には、6つ目だけでなく、1つめの鳥越神社についても、少し違和感を感じます。この神社は、他の将門ゆかりの神社や塚と比較すると、祭神などが異質であり、性格が少し違うように思われるのです。

たしかに同神社には「将門の首が飛び越えて行った」という話が伝えられており、朝敵である将門をひそかに祀っているという噂もあるようです。

しかし、同神社は、そもそも、首が飛び立った京都と、首が落ちた大手町の間にありません。
もしも、将門の首が同神社を飛び越えたとすると、 将門の首は、同神社上空を通過した後、Uターンして首塚までもどって落下したことになります。

たしかに、 飛行中、何らかのトラブルによって右側の揚力だけが失われ、鳥越神社を通過後、右方向に旋回しながら墜落した、 といったことも考えられます。 (航空機事故でもそのような軌道を描きながら墜落した例はあります。)
さらに、巡航ミサイルのように、迎撃をかわすために低空を道などに沿って飛んでいたところ、誤って木などに接触して制御不能となり、大きくルートをそれて墜落。その場所がたまたま大手町だった可能性も否定できません。

このように首がUターンした理由については、何とでも説明がつけられそうですが、どうしても説明に無理があるように感じます。無理やり1つ目のポイントを鳥越神社にしたような気がしてなりません。

そもそも本当に、1つ目の神社は、鳥越神社なのでしょうか。
実は、同神社の近くには、徳川家康が創立した松平西福寺があります。またその隣には、東照宮公、すなわち徳川家康を祀る松平神社がありました。(後に鳥越神社に合祀されました。)
もしかしたら1つ目は、鳥越神社ではなく、これらの寺や神社だったのではないでしょうか。

この結界(?)をつくろうと計画したのは徳川ですが、彼らは、(北極星の方向から見て)結界の起点にあたる1つ目のポイントに、家康を据えようと考えたのではないでしょうか。
家康を結界の要とすることで、徳川が将門の怨霊をコントロールし、朝廷などの他勢力から江戸・徳川を守ることができると考えたのかもしれません。(実際、明治政府やGHQといった他勢力が将門塚を壊そうとするたびに、祟りによって死者が出たという伝説も残っています。)

たしかに、「首が『飛び越え』たから『鳥越』神社という名前になった」という説明には一定の説得力があります。しかし、人々に結界の秘密を悟られないようにするために、徳川の手によって「1つめのポイントが鳥越神社である」かのように偽装された可能性もゼロではないと思います。

【注意】 このコラムは、あくまで筆者の推測に基づく一考察であり、歴史的な根拠に裏付けられたものではありません。実際に首が空を飛び、今も将門塚に眠っている可能性も否定しません。



神田明神 東京都千代田区外神田2丁目16-2(御茶ノ水駅5分)

歴史

天平2年(730年)に創建され、平将門の時代よりも以前から東京の歴史を見守ってきた由緒ある神社です。徳川家康が戦勝を祈願したことを契機に、江戸を守護する「江戸の総鎮守」として位置付けられました。

祭神:
主祭神の一柱として、平将門が祀られています。ただし、もともと神田明神(神田神社)は、大国主(だいこく様)を祀る神社であり、えびす様も祀られています。

行事と文化
江戸三大祭の一つ「神田祭」は、平将門などへの尊敬と感謝を示す伝統行事として親しまれています。この祭りは、神田明神の歴史と平将門の記憶を現代に伝える役割を担っています。創建からまもなく1300年を迎えるこの神社は、江戸文化を象徴する存在であると言えるのではないでしょうか。

資料館:
敷地内には「神田明神資料館」が併設されており、平将門に関する資料や歴史的展示物を見ることができます。訪れる人々に、将門と江戸の歴史を伝えています。

このように歴史ある神田明神ですが、常に最新のトレンドを取り入れ、華やかな魅力にあふれています。
境内には充実したお土産コーナーがあり、秋葉原に近いことから「IT情報安全」のお守りでも有名です(オンライン授与所でも入手可能)。
また、神田明神ホールではアイドルイベントなどが頻繁に開催される一方で、伝統的な結婚式(神前式)や明神会館での披露宴も行われ、古き良き伝統と現代文化が共存する特別な空間となっています。
年始には、入りきれないほどの参拝者が訪れる人気スポット。ぜひ一度足を運び、大国主(だいこく様)の国造りの記憶、将門公の威光、そして最先端の文化が共存する、神田明神ならではの魅力を体感してください。

将門塚 東京都千代田区千代田区大手町1-2-1(大手町駅すぐ)
もともと神田明神は、この地にありました。真偽は不明ですが、平将門の首が祀られていると伝えられています。
 千代田区観光協会  NHK

出雲大社東京分祠 東京都港区六本木7丁目18-5 (六本木駅すぐ)
もともとは神田明神内にありました。現在は六本木に鎮座し、大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)を祀っています。ちなみに出雲大社の神紋は亀甲紋です。付近には六本木ヒルズがあります。

築土神社 東京都千代田区九段北1-14-21 (九段下駅2分)
主祭神ではありませんが、平将門が祀られています。かつては大手町に鎮座していました。「将門の首桶」と伝えられる桶が安置されていましたが、東京大空襲によって焼失しました。

兜神社 東京都中央区日本橋兜町1-12 (茅場町駅6分)
大国主〈だいこく様〉が祀られています。
東京証券取引所の近くにあり、証券界の守り神とされています。
真偽は不明ですが、平将門の兜が祀られていたという伝説が残っています。

鎧神社 東京都新宿区北新宿3-16-18 (大久保駅11分)
大国主〈だいこく様〉や平将門が祀られています。
真偽は不明ですが、平将門の鎧がこの地に眠っているという言い伝えがあります。


ここに記載した内容は、真偽が明らかではないもの、筆者による推論等も含まれますが、基本的に伝承や史跡に基づいています。これらは地域の文化や信仰の中で大切に受け継がれてきたものです。

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