
本佐倉城:千葉県佐倉市 酒々井町と千葉氏
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千葉氏、平将門と佐倉市、酒々井町
千葉氏は、300年以上にわたり、千葉市を拠点に活躍しましたが、その後、佐倉市・酒々井町周辺の「将門山」(※1)へ本拠地を移し、本佐倉城を築きました。どうして千葉氏はこの地を選んだのでしょうか。一つには、印旛沼や利根川といった水路の存在が挙げられます。これらの水路は、物資の輸送や戦略的な移動において非常に大きな利便性をもたらしました。また、この地域の地形が、防御に適していた可能性もあります。
しかし、それだけではなく、千葉氏の平将門に対する深い敬慕の念が、この地を選んだ背景にあった可能性も否定できないと思います。この地域には、もともと「将門公の父の領地があった」という伝承があったようです(※2)。戦乱の世にあって、千葉氏は、将門のさらなる加護を願い、この地を拠点に選んだとは考えられないでしょうか。
たしかに、この地に本当に将門の父の領地があったかどうかは定かでありません。しかし、この地域が平将門と何らかの関係を持っていた可能性は否定できません。
実際、現在、この地には「将門口ノ宮神社」(将門山大明神)(※3)や「将門町」という地名があります。 さらに、この地域には、将門の敵勢力に加勢したと伝えられる寺社「成●山」への参詣を避ける習慣が残っています。「成●山」は、電車でわずか数分という近距離にあり、訪れること自体は容易ですが、それでも人々はあえて参詣を避けてきたことになります(※2)。
これらの事実は、この地域の人々にとって「将門」が特別な存在であったことを物語っています。
当時、千葉氏は一族内部の争いにより本家が滅亡しており、さらに戦乱の世にあって非常に厳しい状況に直面していました。そうした中で、千葉氏は拠点を自らの原点である「平将門」ゆかりの地へ移したわけですが、この決断の裏に、「将門の加護のもとで一族の結束を強め、再興をはかろう」とする意図があったとしても、不思議ではないと思います。
※1 この地域が「将門山」と呼ばれる理由について、佐倉市は、「千葉氏の居城である本佐倉城があったからである」と説明しています、もしもそうであれば「千葉氏 ≒ 平将門の一族」という認識が広く定着していたということになります。千葉氏は、自らのルーツが平将門にあることを誇り、平将門の一族であることを自称していたのかもしれません。 (情報提供:佐倉市 魅力推進部文化課)
※2 この地域で育った方に聞いたところ、この地域に「将門公の父の領地があった」という口伝が残っていることを確認できました。また、実際に成●山には行かないといった風習が残っていることも確認できました。
※3 佐倉市は、「平将門を祀る神社『将門大明神』の鳥居が、江戸時代初期(1654年)に佐倉城主 堀田正信の寄進によって造立されたものである」と説明していますが、そうであれば『将門大明神』はもっと前からこの地に存在していたことになります。おそらくこの神社は、千葉氏の将門崇敬と関係し、本佐倉城時代から存在したのではないでしょうか。 (情報提供:佐倉市 魅力推進部文化課)
このように、史跡や伝承によると、千葉氏はこの地に移った後も、将門を敬愛していた可能性が高いですが、千葉氏は「将門公の父の領地があった」という伝承が残るこの地に移り住むことで、将門に少しでも近づきたいと考えたのではないでしょうか。
空想ノート 妄想ヒストリア 2
京都から飛んできて東京に落ちた将門の首?
首はどこに向かっていたのか?
佐倉市・酒々井町周辺には、「この地で将門が生まれた」といった噂もあるようです。もちろん真偽は不明ですが、将門生誕の地について、はっきりとした記録が残っていない以上、「ウソだ」と断言するのも難しいと思います。
実際、将門がこの地で生まれたかどうかは別として、この地が将門にとって特別な場所であった可能性は否定できません。
たとえば、将門の首は、死後、京都から故郷へ向かって飛び立ち、東京の大手町で力尽きて落ちたと伝えられていますが、将門の首が目指していたのは、茨城県ではなく千葉県の佐倉市・酒々井町周辺だった可能性があります。
もしも、伝説のように、胴体が祀られる茨城県坂東市を目指していたのだとすれば、大手町よりもはるかに北を飛行していたはずです。埼玉県周辺に落下しなければ、つじつまが合いません。
しかしもしも、目的地が佐倉市・酒々井町周辺だったとすれば、話は違ってきます。
日本地図に定規をあててみると分かりますが、京都から大手町を直線で結んだ延長線上には、佐倉市や酒々井町が位置しています。つまり、京都、大手町、佐倉市・酒々井町は、一本の帯の上に並んでいるわけです。
もしも佐倉市・酒々井町周辺が目的地だったとすれば、首が大手町の周辺を飛行していたとしてもおかしくありません(※)。
※ 伝承をもとに、緯度経度を用いて飛行ルートを計算しました。始点を京都の神田明神、終点を東京・大手町の将門塚(首塚)とし、延長線を求めたところ、その線は佐倉市・酒々井町方面へと伸びていることが判明しました。 たしかに、将門山の真上を通っているわけではありませんが、将門の父の領地の正確な位置や範囲が不明である以上、このずれは誤差の範囲内であると言えるのではないでしょうか。 確実に言えることは、将門の首が坂東市ではなく、佐倉市・酒々井町方面を目指して飛んでいたと考えるほうが自然であるということです。

このように、将門の首は、佐倉市・酒々井町周辺を目指して飛行していた可能性がありますが、どうしてこの地をを目指したのでしょうか。
もしかしたら密かにこの地に胴体が移されていたのかもしれませんし、この地が将門にとって父と過ごした思い出の地だったのかもしれません。
いずれにしても、この地が将門にとって特別な場所であった可能性は否定できないと思います。
【注意】 このコラムは、あくまで筆者の推測に基づく一考察であり、歴史的な根拠に裏付けられたものではありません。将門の首は、方角を間違えただけかもしれませんし、風に流されたのかもしれません。
・「国史跡本佐倉城跡紹介映像」(YouTube:酒々井町教育委員会)
・「本佐倉城跡 国 史跡 続日本100名城」(佐倉市)
・「酒々井町 町の歴史」(酒々井町)
・「本佐倉城と千葉氏」(酒々井町)
・「酒々井町の街道と道しるべ:本佐倉城跡」(酒々井町)
・「まめ知識1-ちば・ふるさとの学び 」(千葉県教育委員会)
・「将門と忠常-千葉氏のルーツを探る」(PDF:千葉市立郷土博物館)
・「『将門記』と下総に残る将門伝説」(稲毛新聞)
・「本佐倉城跡 国 史跡 続日本100名城」(佐倉市)
・「酒々井町 町の歴史」(酒々井町)
・「本佐倉城と千葉氏」(酒々井町)
・「酒々井町の街道と道しるべ:本佐倉城跡」(酒々井町)
・「まめ知識1-ちば・ふるさとの学び 」(千葉県教育委員会)
・「将門と忠常-千葉氏のルーツを探る」(PDF:千葉市立郷土博物館)
・「『将門記』と下総に残る将門伝説」(稲毛新聞)
・本佐倉城跡 千葉県印旛郡酒々井町本佐倉781 京成大佐倉駅下車

国史跡 本佐倉城跡 航空撮影(資料提供:酒々井町教育委員会)

国史跡 本佐倉城跡 全体図(資料提供:酒々井町教育委員会)

国史跡 本佐倉城跡 アクセス(資料提供:酒々井町教育委員会)
・将門口ノ宮神社 千葉県佐倉市大佐倉1929-1 京成大佐倉駅8分

国史跡 本佐倉城跡 航空撮影(資料提供:酒々井町教育委員会)

国史跡 本佐倉城跡 全体図(資料提供:酒々井町教育委員会)

国史跡 本佐倉城跡 アクセス(資料提供:酒々井町教育委員会)
・将門口ノ宮神社 千葉県佐倉市大佐倉1929-1 京成大佐倉駅8分

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